健康になるのはいいことか?
良いことです。
そして何をもって「健康」とするのか、が大切でしょう。
・健康な身体
・健康な精神
・健康な人間関係
・健康な生活
・健康な職場
「健康な」で始めるとなんか、良いと思う反面、味気ない、と思ってしまいますね。
それは恐らく、満たされることが当たり前になっているからではないでしょうか。
適度な刺激
人はある種の刺激、いわゆる問題を解決することに快の感情を抱くことが多いようです。
解決できなければ不快となるのでしょうが、解決出来得る程度の問題を解決するのは好きです。
例えば、赤ちゃんは話せません。
それは自分の意思を伝えられないという不快な感情があり、その問題を解決するために話すという行動を繰り返し、とうとう意思が伝えられるようになります。
不快→快です。
その他にも
・親と一緒に歩けない(置いていかれる不安の不快)
・おねしょ(不快)
・自転車に乗れない(馬鹿にされる、遠くに行けないなどの不快)
など様々な不快を超えて、今我々は「当たり前」に生活しています。
乗り越え方はそれぞれあります。
「当たり前」というのはそれぞれの形で乗り越えた、あるいは適応してきたという感覚です。
マズローの自己実現という概念にも課題解決、というのが人間の達成された形であるということが謂われています。
刺激も必要だが・・・
しかし、過度な刺激はお勧めしません。
刺激状態が常態化すると、足るを知ることができなくなり、今度は満たされていることを味わうことが出来なくなります。
自分に合った課題、問題を解決し続けられるように、日誌をつけたり、日々人との会話で自分の感情が動く瞬間などを気に留めたりすると、適切な成長ができます。
ありきたりで、面白みもないことを、実直に続けられるか
それも時には必要です。
人生山あり、谷あり、そして、平坦な道も良いモノです。
それは、緊急時に分かることですよね(*^-^*)
P.S.
不快な気分を脱出するために、楽で快になるモノもあります。
「薬物など」です(-_-)。
そうなると戻れません。
あなたがあなたである理由もなくなってしまいます。
大変な時代もあなたはあなた!
大事にしましょう。
・・・ありきたりでしたが、ありきたりは大事な証拠!
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2020/04/08 11:17
繰り返される真実とウソ
ノイローゼなるわ!
毎日毎日コロナコロナ。
私はTVあんまり見ないので、目の前の仕事や相手のことだけ考えて生きています。
しかし、目の前の相手が絶えず携帯でのネットニュースやテレビの話題を話してくると、さすがに「コロナノイローゼ」になります。
真実かウソはどうでもいい
コロナ関連について全く興味がないことはないんです。
予防はきちんとしてますし、外出も控えたり、うがい手洗いもきちんとしています。
私の中ではここで終了なのです。
「すごくうつりやすい重傷をもたらす可能性もある風邪」
として捉えています。
そう書くと「認識が甘い」「そういうやつがいるから」
みたいに言われる可能性もありますが、それ以上にできることある?
って思います。
出てないし、買い物とかもマスクして、アルコール消毒しつつしてるし、帰ったらうがい手洗いしてるし、出来るだけ人が少ない時間に移動してるし、移動は車だし、、、。
ほら、結構気を遣ってるでしょ?
でもさ、、、
気を遣っていた上で、コロナが、コロナが言われると段々と洗脳される感じがするんですよ。
プロパガンダという手法
これは明らかに過剰。
しかも、あまり上手でもない。
ただただ繰り返し同じ言葉を言うことで、それが真実かのように錯覚させるやつです。
プロパガンダというのは意味合い的に
特定の思想によって個人や集団に影響を与え、その行動を意図した方向へ仕向けようとする宣伝活動の総称
とされています。
若干ニュアンスが違いますが、特定の思想(コロナやばい)を大衆に伝え、意図した行動(外出自粛、予防)を取らせるというもの。
これ自体は良いんですが、補償もが無さすぎる。
確かに菌の保有者になることは危険です。
予防は必要です。
でも、責めすぎじゃないですかね。
あいつらはこんなご時世に○○という行動を軽々しくとったから、なったんだ。
本当迷惑な奴らだぜ・・・。
みたいな風潮まであるでしょ?
確証バイアスや正常性バイアスも理解はしてるんですが、毎日メディアやネットなどで言われるとさすがに感受性が高い人はきついんやないかな。
なったら本当ごめん!
今言われている予防策や対策は殆どとってますし、思いつく限りの予防策もしています。
それでも絶対にかからないとは言えません。
外食もしてませんし、調理もきちんと加熱処理がメインです。
ふとした瞬間に、やってくるやつなら、手立てがありません。
そのときはごめんなさい。
P.S.
しかし、良いこともあります。
風邪、ひいてません!!
コロナが収束しても、これが習慣化されていれば、風邪知らずで、健康に仕事ができると思います。
免疫力を高めるために、筋トレ、柔軟をはじめました。
自宅にいますしね。
人間関係は自分次第
この人と仲良くなりたいな
少し時期が過ぎていますが、春は出会いの季節ですね。
新しい学年や新しい職場や新しい部署など。
今までとは違う人たちと知り合ったり、仲良くなったりする季節です。
そこで、この人と仲良くなりたいな、という人と会うこともあります。
そんなとき、どうするか、ということを考えていますか?
私は交流会とかよく参加させてもらっていますので、色々と、考えながら話しています。
人の印象に残る
とりあえず、印象に残らなければ次につながりません。
それもできるだけ相手にとって好印象で。
相手にとっての好印象であるということとあなたにとって良いだろうと思えることをしたというのは違う、ということに気をつけます。
例えば、相手は○○が嫌いだけど、あなたは○○が好き、という場合です。
「同じ○○」をあなたが提供すればするほど、あなたは「○○してあげた」という気持ちが強くなり、一方的に「良いこと」をしたから、仲良くなれるはずだ、と思うようになります。
しかし、現実は逆で相手にとって「嫌いな○○」を与えているので、仲良くしたい相手から外れていっているのです。
悪い印象が残ってしまいます。
話題選びは慎重に
こんな行き違いがないように、まずは聞きましょう!
聞き方はこんな感じで大丈夫です。
苦手なものって何かあると思うんですけど(多数な人が嫌いなもの)って好きですか?
(嫌そうに)
そうすると、相手は苦手と答えてくれるので、後は「分かります!」として、一緒になって苦手なものの話をしましょう。
なぜ「好きなモノ」ではないかというと、好きなものは、あなたが好きとは限らないからです。
しかも、好きなモノは相手の方が詳しかったり、それなりにプライドを持っていたりして、「私の方が好き!」とか張り合いとか、「こいつは分かってないな」とか思われる可能性もあるからです。
ちなみに、私は野球、サッカーなどスポーツ系は全く詳しくありません。
ですから、相手がこの手の話が好きだったりすると、少し合いの手を大きくするように心掛けています。
こんな感じです。
「全く知らないんですけど、選手の特徴を教えてもらっていいですか?」
「へー!!そんなすごい選手がいるんですね!」
「頭一つ抜きんでているんですね!」
これ、意識してるんですけど、下手するとわざとらしくなってしまいますので、
やっぱり苦手な話題がいいですね。
苦手な話題で盛り上がろう!
という訳で本日は人間関係は自分の話題選び次第でなんとかなる、というものでした。
あなたも苦手な話題で話題作りメーカーになってみませんか?
やり方を変える
今だからこそ色々とこの感染症に対策しつつ、働き方をWebで完結させたり、電話であったり、リモートワークや在宅ワークに切り替えつつ対応できていますが、30年前ならどうでしょう。
たぶん出来てなかったと思いますし、出来ないということは今よりも感染者数が爆発的に増加していそうな気がします。
では、このコロナウイルスが後10年後に来た場合、今より上手に対応できているのでしょうか。
たぶん、今とさほど変わらない対応になっていたと思います。
恐らく、状況に対応するために、今リモートワークの必要性が出てきたので、企業がそれに対応し、必要だと判断すれば、コロナ後も一部業務を切り替えつつ、継続させていくのでしょうが、昨年のまま、同じような経済環境であったとしたら、、、。
変わってないんじゃないかな、と思います。
少なくとも5Gの投資など「今より良く」という概念は絶対にあったと思いますが、「今と全く違うやり方で」という発想には至っているところは少ないのかな、と。
私たちはいつも基準がありつつ行動しています。
その基準は「今使っているもの」で出来ているため、どうしてもそこに発想が引っ張られてしまいます。
今と違う結果が欲しい。。。
例えば、収入を倍にしたい、結婚したい、あるいは切り離したいなどなど。
そのような願望が少しでもあれば「今」を切り離して考えることもおススメします。
今では出ないような発想が、実は急激な成長につながることってたくさんあります。
人間関係と威嚇
どうして言うこと聞かんの!??
子育てをしている人や企業の中のリーダーはこのセリフを言ったことがあると思います。無ければ無いで、良いのですが、人と話すときに「なんでこの人言ったこともしないんだろう?」と思ったことはないでしょうか。
そんな時に「威嚇」という表現方法を使う人がいます。
・睨む
・黙って見る
・語気を強める
などなど。大きな声を出すとかもそうでしょう。
・・・「威嚇」ですね。
威嚇のその先
大抵威嚇のその先は相手に以下の2つの感情を抱かせます。
・反発
・恐怖
端的に言うと、「そんなん言われるなら死んでもやらん」となるか「威嚇されたくないからやっとこ」となるかですね。
「死んでもやらん」の方は動物の中では人間だけのようですけどね。
相手の得になるくらいなら、自分の損得は置いておいて、損(痛み)を感じてもいい、となってしまう行動経済学の実験もあります。
現実には死ぬ前にはやるでしょうけど・・・。
「威嚇されたくないからやる」という方は逆に言うと「威嚇されなくなるとしない」ということになり、ずっと威嚇し続ける必要が出てきます。
威嚇好き?
人を威嚇したり、怯えさせるのが大好きだ、という方は別として、想いを伝えたい、言うことを聞いて欲しい、という時に威嚇はあんまり効果的ではありません。
だって、反発か恐怖しか与えないから。
威嚇でのコミュニケーションは本来動物がするもので、私たちはもう少し高度なコミュニケーションである誘惑をしましょう!
誘惑
威嚇というコミュニケーションと反対に位置するコミュニケーション。誘惑。
そもそもこのことの発端は子どもの準備が遅い!
というところから始まっています(笑)。
毎朝、毎朝、何度言っても、何回言っても、準備が遅い(笑)。そこで以下のような誘惑手段を考えました。
・ゲーム性を持たせる(準備を競争化)
・○時〇分までに準備ができたらポイントカードに印鑑を押す
・私が誰よりも早く準備してゆっくり朝を過ごしている姿を見せる
などなど。
ちなみに今のところポイントカード性が効果が高いですね!
○時〇分に間に合うようにするために、時計の読み方も覚えるし、ポイントカードという私たちで言うところの「通貨を貯める」という感覚も養われます。
いいとこ取り!
以前、挨拶をしない、という風土で悩んでいる組織で挨拶1回に付き褒賞として100円上げる、という施策を立てた企業さんがありました。
最初は100円のためにみんな挨拶していたそうですが、その褒賞を突如やめても挨拶は続き、挨拶をする風土になったそうです。
「挨拶するのは当然よね?」みたいな感じになっていったと語っていました。
1社だけの事例なので確実、とは言いませんが、外的動機付け→内的動機付けが上手に機能した例でしょう。
威嚇より誘惑の手段を考えると円滑な人間関係ができますよ!
(ちなみにこれは「円滑な人間関係」が誘惑の材料とした提案です(笑))
怯えていること
怯えていることは何ですか?
と、尋ねられてぱぱぱっと答えが出てくる人も少ないかと思います。
意識的にはやっぱり「怯えてないし」「怖いことなんてないし」なんて思っていたりするものです。
昨今コロナ系で人間関係のカタチが変わってきています。働き方が変わってきたり、会社が倒産したり、婚姻関係が強固になったり、破綻したり。
今日は「怖がっていると鎖が足に巻き付いている」ということを知る、というところから始めましょう!
なんで○○やめない?
上の質問で○○に入るのが仕事でした。会社の文句を言うのに仕事は辞められないという。それはいきなり収益がなくなるのが「怖い」というカタチですね。
他にも人間関係をやめるということもあります。結構今まで通りで居られない、ということを怖がる人がいます。
1つ大事な事をお伝えすると、、、
バランスを一度壊さないとカタチは変えられない。
ということです。
そして、バランスを壊すのは大抵の人は「怖い」と感じるということです。
よし!チャンスだ!
今、実は多くの人が怖がっています。
・仕事がなくなったらどうしよう。
・感染したらどうしよう。
・人間関係が壊れたらどうしよう。
などなど。
チャンスです!否応なく今まで後回しにしてきたことに向き合わなければなりません
。確実にバランスが壊れています。通常ではありませんから。
そんな時はあらたなカタチが作られる時です。
確かに怖い
現状が現状ではなくなることは確かに怖いし、怯えて当然だと思います。しかし、恐怖心は同時に鎖のようでもあります。
鎖が巻き付いたままでは自由な滑走はできません。
恐れはチャンス
私たちの生活の中で恐れを感じた時はチャンスだと思いましょう。ちなみに怒りの感情は大抵根源に「恐れ」があります。
不安だったりするから怒るのです。それもチャンス!!
まだまだ人生をよくする可能性
投げたボールと相手の取り方
いっくよー
一昨年引っ越しまして、家に土間ができました。
全く広くはないのですが、小さなボールで子どもとキャッチボール(本当に軽く投げるくらい)はできます。
コロナの影響でほんとに外出できず(あまりせず)、小さなお子さんがいる家庭は大変だと思いますし(大変さの度合いは違うと思います)、我が家も例外ではありません。
そんな中キャッチボールやドリブル(!?)を家の中でしています。
会話とキャッチボール
よく会話はキャッチボールに例えられますので、今回はその話。
よく「伝わる話し方」とか「伝え方が〇〇」みたいな本を見かけますが、肝心なのは相手の受け取り方だと思います。
もちろん受け取り方をこちらの意図が伝わるように投げないといけませんので、話し方や伝え方の工夫は必要です。
いうなれば、会話で重要なのは、、、
「話し手の意図と聴き手の受け取り方の差異を少なくすること」
この一点に尽きるのではないでしょうか?
感情の聞き方
小さい子どもの会話はほぼミスコミュニケーションで行われています。でも、会話は成り立っています。
どういうことかといいますと、聞き取れない(笑)
ところどころまだ発音がしっかりしておらず、言葉の意味が分からない(笑)
しかし、「なるほど」「確かに」とか、辛うじて聞こえた言葉を繰り返すと、本人は笑って同意して、満足してくれます。
この場合の会話は感情を聞いているので、満足しているということです。
そこで私が思うのは、会話の種類は2パターンあり、
・感情の聴き取り
・内容そのものの聴き取り
どちらかに分類されるものであるという事です。
コロナ時で気付いた会話の法則。
・感情の聴き取り(やり取り)をメインにする会話
意味や内容の重視よりきちんと目を見て、頷きを大きく。
どちらかというと非言語的会話に近い。
・内容そのものをメインにする会話
発言の復唱、頷き、適度な質問を重視する。
内容の理解があっているか確認するため、自分の意見と織り交ぜて話す。
この2つがあって、会話を行っている2者、あるいはグループの受け取り方の差異を無くしていく。
とか、考えていました。
もちろん会話もキャッチボールも同じとするならば、キャッチボールをする空間に花瓶を置いたりすると、割れます。。。
モノが倒れます。
怒られます(子ども目線)。
・・・会話もきちんとした環境(状況)を作った上で行いましょう(笑)